2004年10月19日火曜日

多重債務は浪費家だけの問題ではない

このようなサイトを運営していると、毎日たくさんのメールをいただく。
借金のご相談は、メールではなく掲示板でお願いしているので、メールをいただくのは、ご自身が借金とは無縁の方が結構多い。
そのような方は、なんとなく借金問題に興味があるとか、直接自分は関わっていないけれど、身内や知人に借金問題を抱えている方がいる、という理由でこのサイトを読んでいる方だ。こういう人たちは、「どうして返せないような借金をするんだろう」という、疑問の答えを求めて私にメールをしてくる。

以前もこの日記に書いたことだが、初めから「返せない」とわかっている借金をする人はほとんどいない。「返せるはず」だったのが、病気やリストラ、もしくはもともとの見通しの誤りなどが理由で「返せない」物になった時、ただの借金が「借金問題」となり、悩みの種になる。返せなくなってしまった借金を、別の借金で穴埋めし始めると、借金問題は「多重債務問題」となり、悩みはより深く、借金はより多額に膨らんでいく。
最初のきっかけは、車のローンを組んだり、クレジットカードでパソコンを買ったりしただけだったのかもしれない。その返済が、色々な理由でできなくなった時、他から借金をして返済してしまう。その借金を返すために、更に別のところから借金をする。やがて収入の大半が返済に消え、生活もままならなくなって、生活費のために更に貸してくれる所を探す。
実際に多重債務を経験した人なら、この悪循環が多重債務のメカニズムだということを、身を持って体験して知っているわけだが、上記のような、借金と無縁の人にとっては、「多重債務」というのは、先のことを何も考えずに、浪費の限りを尽くす人のだけの問題だと思っている人が少なくない。要するに、「借金をする人=お金にだらしない人」という発想だ。
確かに、浪費の限りを尽くして多重債務者となった人も、中にはいるだろうが、私が自身の借金の経緯を公開しているにもかかわらず、私に対しても「なぜ債務整理しなくてはならなくなるまで借金をし続けたのか」「途中でヤバイと思わなかったのか」と質問されることがある。私はもともとお金にだらしない人間で、それが債務整理をきっかけに生まれ変わったのだ、と思われることもある。
もちろん「ヤバイ」と思ったからこそ、借金を返すために必死で借金できる所を探し、爪に火を灯すような生活で、1日1日を息も絶え絶えにやりすごしていたわけで、そういう意味では、借金を抱えていた頃は、今よりずっとお金にシビアだったのだが、「借金=浪費」という固定観念があると、この感覚はなかなか理解してもらえない。
多重債務者になる前に、債務整理についての知識があれば、もっと早くに借金を整理して、普通の生活をしていたと思うが、債務整理の知識がないと、返済すること以外に解決手段はないし、そのために他から借金をしてでも返済をし続ける、という悪循環から、永遠に抜け出せない。

「なぜ借金をするのか」という問いかけをしてくる人は、「こういう理由で借金が膨らむ」という明確な返答を得ることによって、自分がその「借金の理由」に近付きさえしなければ、多重債務とは一生無縁でいられる、という安心感を得たいのではないか、と感じる。
たが、残念ながら「こういう理由で借金が膨らむ」とか「こういう人が多重債務者になる」という明確な答えはない。
絶対に多重債務にならないためには、「何があっても絶対に借金をしないこと」しかない。ここでいう「借金」とは、サラ金から現金を借りることだけではなく、車のローンや住宅ローンも含めた「借金」だ。すべてにおいて「100%現金払い」を貫かない限り、多重債務者になる可能性は0%にはならない。
それでも、住宅ローンを組んでしまった人が多重債務者にならないためには、「もしローンが払えなくなっても、絶対に借金で穴埋めしない」ことだろう。「返せない」という現状を自分ひとりで抱え込んで何とかしようとするのではなく、大げさに言えば、「今月のローンが払えないよー」と、周りの人に大声でふれ回るぐらいの気持ちで、見栄も恥も捨てて援助を求めるしかないと思う。

恥をしのんで、家族に援助を求められるかどうかということは、多重債務者になるかどうかの大きな分かれ道だと思う。
多くの多重債務者は、金銭的なピンチを誰にも相談できず、自分だけで何とかしようと思った人たちだ。その時、親に頭を下げて、5万円借りることができていれば凌げたはずのピンチが、サラ金から高利で借りて凌いでしまったことによって、債務はあっという間に膨らみ始める。
多重債務者になって、親から5万円借りても「焼け石に水」にしかならなくなってから親に相談しても、その時はもうどうしようもない。
「多重債務者になるのは育った家庭環境に問題があるからだ」、などという話も聞くが、むしろ親が無借金で堅実に生活している人であるがゆえに、借金に対する罪悪感が強くなり、住宅ローンが払えなくなっても親に相談もできず、債務を膨らませてしまうケースも多いのではないだろうか。

多くの多重債務問題は、「返せない借金」や「浪費」から起こるのではなく、「返せるはずの借金が何かのきっかけで返せなくなってしまった」ことから起こっている。
返せなくなるきっかけは、病気やリストラ、最近はクレジットカードのスキミングや、キャッシュカードを盗まれて預金をまるごと持っていかれた、という事件もあるから、そういうきっかけもあるかもしれない。
とにかく、何かのきっかけで返せなくなってしまった借金を、一度でも別の借金で穴埋めしてしまえば、あっという間に多重債務者になってしまう可能性が非常に高いのだ。
だから、今「多重債務なんて自分には無縁だ」と思っている人も、このサイトを他人事だと思うのではなく、「明日はわが身」だと思って読んで欲しいと思う。住宅ローンを払っている人は、もし自分が急にリストラされたり、長期入院が必要な病気になったりしても、ちゃんと払い続けて行けるのかどうか、試算してみて欲しい。

2004年8月25日水曜日

完済から1年

私がこの日記で「完済」のご報告をしてから、約1年が経過した。
ちょうど任意整理をして返済をはじめた頃は、シドニーオリンピックをやっていたのだが、今年はもうアテネのオリンピックが開催されている。
この1年、私はとてもお気楽に過ごしてしまって、「これをやりました!」と胸を張っていえるようなことは何もない。仕事もそんなに忙しくはないし、祖母も、数年順番を待っていた特別養護老人ホームにやっと入れて、私の自由になる時間は当初より大幅に増えた。
この1年の中で一番のトピックスと言えば、このサイトのトップページにFlashを導入したことかもしれない。こんなことがトピックスになってしまうぐらい、この1年の私には、本当に何も起こらなかった。

20代前半は仕事に追われ、20代後半は多重債務に追われ、30代前半は借金返済に追われていた。30代後半になって、ようやく、何もしなくても平和にのんびりと流れていく時間の中で、ボーッと過ごすことができるようになったのかもしれない。
オリンピックを観戦していると、「人生、常に目標を持って、日々精進しないといけないなぁ」と感じるが、その一方で、こんなお気楽な何もしない毎日も、長い人生の中に何年かはあってもいいじゃない、とも思う。

少なくとも、今の平穏な、いや、怠惰とも言える日々は、4年前のあの日、債務整理を決心して法律相談所を訪ねていなければ得られなかったはずだ。あの頃の私に、今の私の姿は決して想像できなかった。債務整理をしようと決めるまでには、それなりの葛藤はあったけれど、最終的には行動したことが、結局は自分の人生の大きなターニングポイントになったのだと思う。

お気楽に過ごしているとは言っても、家計がルーズになった、というわけではない。コマメに家計簿をつけたり、この猛暑でもなるべく冷房はつけないで、うちわでパタパタ扇いだり、そういうことは、当たり前のように生活の中に溶け込んでいることで、自分ではそんなにピリピリして節約に励んでいるつもりはなくても、だいだい毎月予算通りの生活が出来ている。
毎月予算通りに生活することで、ある程度先の見通しが立つから、気分的にとても楽になるのだ。家計簿をつけることはとても大切なことだが、使ったお金を記録するだけなら、小学生のお小遣い帳と変わらない。実は「予算を立てる」ということが実績を記録する以上に大切なことで、その予算通りの生活ができたかどうかを検証する目的で家計簿をつけなくては意味がないのだ。
こうやって、文章にすると堅苦しくなってしまうが、習慣にしてしまえばどうということはない。これか習慣になれば、節約、節約とピリピリしていなくても、私のようにお気楽でも、安心して生活することができる。

今、あらためて思うのは、毎日お金のことが頭から離れない生活を送るのは、心の健康に良くないし、お肌にもきっと良くない。借金返済のために金策に走ることは、「金の亡者」とは言わないだろうが、結果的にはそれと同じような状態になってしまう。
お金は、生きていくにはなくてはならないものだが、あくまでも目的ではなく、手段のひとつに過ぎない。借金がかさんでくると、何かをするための手段として借りたはずのお金だったのに、お金を作って返済することが一番の目的になってしまって、生活の道具であるはずのお金に振り回されて、身も心もボロボロになってしまう。

生きる手段でしかないお金などに、振り回されてはいけない。お金も生活の道具だと思って、執着し過ぎず、粗末にし過ぎず、気楽に付き合って行けるようになれば、きっと、私のようにお気楽ながらも不安のない生活ができるようになるはずだ。
借金に悩む人にとって、債務整理は、今の自分とお金の関係のあり方を変えるきっかけになると思う。債務整理をしても、お金と自分の関係を変えられない人は、再び逆戻りをしてしまうかもしれない。お金が生活の「道具」であるように、債務整理は自分の生活を見直すための「道具」のひとつだ。上手に使いこなして、ピリピリしない、ゆったりした生活を手に入れて欲しいと思う。

2004年6月22日火曜日

「債務整理マーケット」の悪循環

少し前に掲示板で、簡裁代理権を持つ認定司法書士さんへの債務整理委任についての議論がされたことがある。
司法書士さんというのは、もともと、裁判所に出す訴状を作ったり、土地や会社の登記関係書類を作る専門家だ。
たまに、「どうして借金女王は、司法書士ではなく弁護士に任意整理を依頼したのか」と質問されることがあるが、私にとって司法書士さんというのは、「登記書類を作る人」以外の何者でもなく、司法書士さんと任意整理を結びつけるということは、思いつきもしなかった。
司法書士さんの中にも、債務整理に取り組んでいる人がいることを知ったのは、このサイトを開設して少ししてからのことだ。

簡裁代理制度が出来る前から、一部の司法書士さんは、主に自己破産や個人再生の申立て書類の作成という形で、債務整理に携わっていたが、中には本人の代理となって、債権者と直接和解交渉をする、任意整理を行ってきた方もいるようだ。厳密に言うとこれも、非弁活動になってしまうのかもしれないが、任意整理はもともと私的な話し合いによる解決だから、「ちょっと法律に詳しい近所のおじさんに話をつけてもらう」という感覚で、司法書士さんが任意整理を行っても、債権者側に異存がなければ、構わないと思う。
しかし、簡裁代理権を持って債務整理を行う司法書士さんは、「ちょっと法律に詳しい近所のおじさん」のままでは許されないと思う。
これまで、ずっと弁護士にしか認められていなかった、「代理人」になるということは、とても重いことだと思うのだ。

「代理人」というのは、依頼者の利益を守る人のことだ。
では、債務整理における「依頼者の利益」とは何なのか。
このことについて、少し私の弁護士さんとメールでお話をすることができたので、私の弁護士さんの考えも含めて言うと、債務整理における「代理人」の役割は、

1.依頼人の生活環境や性格なども考慮した上での、適切な債務整理方法の選択
2.申立書類の作成、利息の引き直し計算、裁判、和解交渉
3.完済までの送金と、生活の建て直しの管理・監督

この3つではないかと思う。
この3つのうち、「法律の知識」が役に立つのは、実は2番目の項目だけで、1番と3番については、本当の意味で「依頼者の利益を守る代理人」としての仕事であって、「法律の知識」はそんなに大きなウエイトを占めるわけではない。
私にメールをくださる司法書士さんは、なぜか「弁護士の債務整理費用はぼったくりだ」などと言ってくる人が多いのだが、このような方は、恐らく、「債務整理業務」というのは、上の2番目の項目だけを行えば良い、と思っている人ではないかと思う。
実は2番の項目は、書式や方法がほとんど決まっている「ルーチンワーク」の部分がほとんどだ。(細かい書式の変更や、法律の改正なども結構頻繁にあるようなので、その点は面倒だと思うが)
むしろ手間や時間が掛かり、ひとりひとりに個別のプログラムを作って応対しなければならない、いわば「オーダーメイド」の部分は、1番と3番だ。これがあるから、「債務整理事件は手間の割に儲からない」として、受任を避ける弁護士さんも少なくないのだと思う。
しかし、司法書士さん本来の「書士業」には、1番や3番のような役割はあまり想定されていないと思う。
認定司法書士になるためには、100時間位の研修があるそうだが、その研修の中で、上記の1・3番のようなことを行う重要性が説かれているのかどうか、私にはわからない。
ただ、少なくとも私にメールをくださる司法書士さんは、債務整理を扱うことを「ビジネスチャンス」と捕らえている方が多い印象を受ける。2番の項目だけを「債務整理」だと思っていれば、システマチックに数をこなすことは、そう難しいことではないかもしれない。
権利関係が複雑で、何重にも抵当が入っている土地の分筆作業などをするよりは、遥かに楽な仕事だろう。
だか、1番と3番の仕事を「自分の仕事」だと自覚しないで債務整理を扱う専門家が増えることは、とても憂慮すべき事態だ。

司法書士さんだけを、槍玉に挙げるかのようになってしまったが、弁護士さんの中にも、大勢スタッフを抱えて、債務整理事件に特化しているような人もいる。2番の項目の部分を、徹底的にシステム化して、事務員さんに任せられる部分はお任せして、効率をあげることで、儲からないはずの債務整理事件を、儲かる仕事にしている人たちも少なくない。

また、債務整理を扱うNPOなどの民間団体も多く存在する。債務者本人に自覚を促し、カウンセリングを重視する団体もあるようだが、ただ弁護士を紹介して、紹介料を取るだけとか、弁護士ではなくヤミ金に紹介するような団体もあり、さまざまだ。
こういう団体も含めると、なぜか「債務整理市場」は存在し、ある程度の競争もあるマーケットになってしまっているようだ。
本来、上記1~3番をしっかりこなすつもりなら、儲けを度外視し、ボランティア精神でやらなければならないはずだが、2番だけに特化することで、このマーケットが成り立っているようにしか思えない。
日本は資本主義経済だから、こうした市場でビジネスをする人を、否定することはできないが、その影響は出ているようだ。

私の弁護士さんは、ずっと弁護士会の法律相談窓口で債務整理の相談を受けている。
その弁護士さんのお話によれば、一時期に比べると、相談件数そのものは減少しているが、案件のひとつひとつは悪化傾向にあるそうだ。
自己破産や任意整理の経験がある、いわば「リピーター」がかなり多いらしい。
また、深刻な免責不許可事由を抱えて他の弁護士事務所で受任を拒否された人や、弁護士や司法書士が要求する費用を払うためにヤミ金で借りてしまった人もいると言う。債務整理に特化したような弁護士事務所の中には、費用の分割には応じるものの、本人の支払能力に応じた分割払いではなく、最初からその事務所で決めてある金額での分割にしか応じてくれないところもあるらしい。
このサイトの「資料室」にもあるように、私の弁護士さんは、「弁護士費用のために新たに借りることは絶対にいけません」と書いた注意書を渡してくれるのだが、中には、「費用は借りてでも用意しろ」と言わんばかりの弁護士や司法書士もいるようで、これでは、債務整理をして借金が減るのではなく、増えてしまうことになる。
中でも「リピーター」の存在は、私の弁護士さんも驚くほど多いらしい。あまりにも多いので、そう簡単にどんどん破産させることにも躊躇を感じるようになってきたそうで、以前に比べると、少し厳しくしているそうだ。
もうすぐ新しい破産法ができて、2度目の免責が認められるまでの期間も短くなるし、破産時に最低限必要な生活費として、手元に残せる金額も増えることになる。そうなると、整理する側の自覚とともに、整理業務を受ける専門家にしっかりとした自覚がないと、「リピーター」は増える一方ではないかと思う。

私は何の資格もないので、上記3項目のうち2番目は、専門家とは逆にまったく携わることは出来ない。
このサイトは、「無理なく、確実に返済できる整理方法の選定」と、「整理前の生活を反省した上での、整理後の建て直し」を呼びかけているサイトで、皮肉にも、ビジネスとして債務整理業務を行おうとしている専門家たちが、切り捨てようとしている部分を担っている。
確かに、こんなことをしていても、一文の得にもならない。得にならないどころか、サーバ費用やドメイン管理費用などの出費はあるし、自分の時間の一部も消費している。
それでも辞めずに続けているのは、やはり借金を抱えている人が、本当の意味で立ち直って欲しいからに他ならない。
その場の借金が片付いても、再び「リピーター」として、法律相談所の門を叩くようでは、何の解決にもなっていない。このサイトの読者の中から、「リピーター」だけは絶対に出したくない、と心底思う。
しかし、ルーチンワークに特化して債務整理ビジネスを行う専門家にとっては、「リピーター」はある意味「常連客」であり、その増加も憂慮されるどころか、歓迎されてしまうのかもしれない。債務者本人の更正を無視したビジネス志向の専門家たちが、効率よく債務整理事件をこなせばこなすほど、「リピーター」は増加し、彼らのマーケットは拡大してしまう。
その一方で、ルーチンワークでは処理しきれない、複雑な案件や、どう考えても費用が払えそうもない、どん底の債務者たちが、このマーケットから、弁護士会の相談窓口などに回され、私の弁護士さんのように、ボランティア精神で、債務整理業務を真面目にまっとうしようとする専門家にばかり、負担が掛かかって行くのかもしれない。
認定司法書士さんもこれから更に増えていくし、ロースクールも始まって、弁護士の数も多分、かなり増加するだろう。そうなれば、この悲しい悪循環に、いっそう拍車が掛かる可能性も否めない。
専門家ひとりひとりが、真の「代理人」としての自覚に目覚めてくれることに期待するしかないのだろうか。
そして、このサイトのような個人サイトが、専門家にとっては面倒な部分を担っていくしかないのだろうか。

2004年4月19日月曜日

マスコミへの苦言

このようなサイトを運営していると、時々様々なメディアから協力の依頼が来る。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌など色々な種類の媒体が、取材依頼や記事の転載、コメントの執筆などを依頼をしてくる。
私が雑誌の編集者やライターをやっていたのは、まだインターネットがほとんど普及していない1990年代前半だったので、ネットから「ネタ」を探す、ということはなかったが、今はマスコミ関係者にとっても、インターネットが大きな情報源になっているのだと感じる。
協力できる依頼にはなるべく協力しようとは思っているのだが、実際には、全体の依頼数の約3分の1程度にしか応じていない。
残りの3分の2はお断りしている。

私がお断りするタイプの依頼は、「借金で苦しんでいる人を紹介する」という主旨の依頼だ。
私自身に、借金で苦しんでいた時のことを語って欲しい、という依頼もあるし、今借金で苦しんでいる人の生活を取材したいので、誰か紹介して欲しい、という場合もある。
 ニュース番組の特集や、週末の昼間にひっそり放送されているドキュメンタリー番組などで、多重債務者やヤミ金被害者などが取り上げられているのは、時々目にする機会があるが、これらのほとんどは、まさに「借金で苦しんでいる人を紹介する」だけに留まっている。
パチンコに興じては借金を繰り返す人や、携帯にガンガン取り立て電話がかかってきて、しどろもどろで応対する人、家のポストから溢れんばかりの督促状やヤミ金のDMを見て呆然としている人など、のん気にテレビの取材など受けていないで、一刻も早く弁護士さんに相談に行きなさい、と言いたくなるような人ばかりが登場し、何の打開策も図られないまま、番組は終わってしまう。
そういう人が、一念発起して生活を見直し、債務整理をして、無事やり直す、というところまで紹介してくれるのなら、まだわかるが、ただ借金に苦しんでいる人を紹介して、一体何になるのか、と思う。
「人の不幸は蜜の味」などというが、借金の取立てに追い詰められている人の姿を見ることで、反面教師的に自分の幸福を実感できるので、視聴者のウケは良いのかもしれない。
そんな野次馬根性だけで債務問題を扱おうとするマスコミ関係者の多さには、本当に呆れてしまう。

私はダイヤモンドZAI誌の一件(2001年7月の日記参照)以来、企画意図が明確になっていない取材依頼には応じないことにしている。私の過去の借金生活を、面白おかしく掲載されるだけなんていうことは、二度としてもらいたくない。
ところが、最初に来る依頼のほとんどは、企画意図が明記されていないし、中には取材の依頼なのか、原稿執筆の依頼なのかすらわからないような依頼も数多く来る。
私が携わっていた媒体は、特定業界の経営者向けの情報誌だったので、取材を依頼する相手も、企業のトップや官僚などが多かった。
それが特殊だったのかもしれないが、取材の依頼は「謹啓 時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます」からはじまる文書で、掲載誌名、企画内容、インタビュー事項の概要などを明記して依頼するのが常識だった。
しかし、私のところにくる依頼のほとんどは、メールだから「謹啓 時下ますます・・・」は必要ないと思うが、どんな媒体にどんな主旨で何を掲載したいのか、ということも書かれていない場合が多い。
借金の問題をどのような視点で扱い、私にどのようなコメントを望んでいるのかということは、最低限のマナーとして明示してもらいたいし、私も不本意な情報が流れてしまうのはイヤなので、その点をきちんと確かめた上で、協力できる物には協力したいと思っている。
それなのに、「企画意図を明記してください。借金に苦しむ人を野次馬根性で紹介するような企画ならお断りします」とお返事をすると、いきなり逆ギレしてくる自称フリーライターもいる。
こういう人は、「マスコミの取材」と言えば、シッポを振って飛びついてくる、とタカを括っているのかもしれない。同じライター経験者としては、ちょっとガッカリしてしまう。

私の経験上から言っても、マスコミ関係者は、「自分が世論を作っている」という自負を持って仕事をしている人が多い。
その自負が、責任感になっている場合は良いのだが、中には「オレが世論だ」「オレの意志で世論は動く」というような勘違いをしてしまっている人も少なくない。自分の見方、考え方こそが絶対で、自分と違う考え方の人は「間違っている」と、排除してしまう。

そのような人たちは、借金で苦しんでいる人の生活を見せることは、社会問題に鋭く切り込んでいる、安易に借金をしようとする人の心に一石を投じられる、と思い込んでいるから、私が「そんな野次馬根性で債務問題を扱わないでください」などと言うと、ひどくプライドが傷つけられるらしい。

つい最近も、あるテレビ番組制作会社の人から、「借金で自宅を差押えられた女性を紹介して欲しい」という依頼があった。
その人とのやり取りの中で、借金に苦しむ人を紹介するだけでなく、債務整理についての正しい情報を流して欲しい、と言ってみたのだが、その人は「債務整理についての情報をテレビで流すのは、借金に対する視聴者の意識にとって良くない」と言ってきた。
恐らくこの人にとっては、債務整理は借金をした人の「逃げ道」であって、債務整理を紹介することによって、安易な借金をする人が増える、と思っているのかもしれない。
それもひとつの考え方として、否定はしないが、サラ金のCMをガンガン流している一方で、借りた側の権利である債務整理について一向に正しい紹介がされていない現状は、テレビという媒体のスポンサー至上主義、偏向ぶりが指摘されても止むを得ないのではないかと思う。

私がマスコミに望むのは、多重債務者の生活の実態を紹介することではない。
借金をしないで済む生活はどうすればできるのか、それでも万が一多重債務に陥ってしまったら、どんな解決手段があるのか、ということを紹介して欲しい。
「借金地獄に苦しむ」ドキュメンタリーではなく、「借金生活から脱却する」ドキュメンタリーや記事を作って欲しい。
私もそのための協力なら惜しまない。

2004年3月19日金曜日

うつ病と多重債務

★参考サイト UTU-NET

上記サイトによれば、日本の人口の約5%がうつ病患者だそうだ。
なぜ、突然うつ病の話をはじめたのかというと、このサイトの掲示板に借金の相談に来る人たちの中に、「私はうつ病です」という人が結構多いからだ。
正確に統計を取ったわけではないが、実感値では、全体の5%よりもずっと多い気がする。

借金のせいでうつ病になってしまったのか、うつ病のせいで借金を抱えてしまったのかはわからないが、多重債務者とうつ病患者には、オーバラップする部分があるように思う。
私自身は今まで、自分はうつ病とはまったく無縁だと思っていた。
しかし、上記サイト内の「こころの病気セルフチェック」を、借金で一番苦しかった時の気持ちになってやってみたら、見事に「うつ病の可能性がある」という診断結果が出てしまった。

このサイトでは、「うつ病になりやすいタイプ」として、下記のようなことが挙げられている。

・まじめ、几帳面でいつも何にでも完ぺきを目指す
・他人任せにできない
・他人の評価に対して過敏に反応する
・自己否定的な考えをする
・悲観的な見方をしがちである
・二者択一的;白か黒か、100点か0点か、すべてをいっぺんに片づけようとする
・優先順位の設定ができない

これを読んでちょっと驚いてしまった。これらは、そのまま「多重債務者になりやすいタイプ」とタイトルを付け替えても通用してしまいそうな内容だったからだ。

うつ病になるきっかけは、環境の変化や人間関係など様々あるようだが、その中には「経済問題」ももちろん含まれている。多重債務の悩みがうつ病を生むきっかけのひとつであることは確かなようだ。
また、「躁」の状態と「うつ」の状態が交互に訪れる「躁うつ病」の人の場合は、「躁」の時に気が大きくなって、多額の借金をしてしまう、というケースもあるという。
以前この日記にも書いた「買い物依存症」も、心の病気の一つだが、このような依存症の人は、同時にうつ病も抱えている場合が少なくないそうだ。

確かに多重債務で悩んだり苦しんだりした経験のある人なら、物質的な生活の苦しさ以上に、精神的な圧迫感が辛かった覚えがあるのではないだろうか。中にはその重圧に耐え切れなくなって、自ら命を絶ってしまう人すらいるのが、多重債務の苦しみだ。
自覚していないだけで、実は多重債務者のほとんどがうつ病なのかもしれない。

では、少しでもうつ病の症状を和らげるためにはどうしたら良いのか。
上記サイトで紹介されている、うつ病患者のセルフケアは、

・ゆとりある生活をする
・物事に優先順位をつける
・何でも自分だけで抱え込まない
・マイペースの生活

などといったもので、これもそのまま多重債務者へのアドバイスとしても挙げられる。
私も掲示板で、このようなことをアドバイスすることも多い。
うつ病になりやすいタイプと多重債務者になりやすいタイプが似ている分、その改善のための心構えも似てくるのだろう。

しかし、似ているのはここまで、ここから先は、多重債務解決のアドバイスをしている者にとっては、とても悩ましい問題があるのだ。
上記サイトには、周囲の人たちに向けて、うつ病患者に対応する際のアドバイスも書かれている。

・励ましは禁物。「がんばって」は禁句
・考えや決断を求めてはいけない
・重要な決定を迫らず、できるだけ先延ばしにする

要するに、温かく見守りながら、ゆっくりじっくり治療に付き合いましょう、ということだ。

特に、うつ病の人に「頑張れ」という励ましが禁物だということは、よく聞く話だ。
「頑張りたくても頑張れない」のが、うつ病患者の一番の苦しみだという。
私は多重債務は「頑張りすぎた」結果の失敗だと思っているので、掲示板でもあまり「頑張って」という言葉は使わないようにしているのだが、それでも、多重債務から脱却するためには、多少の頑張りは必要なので、何と言えば良いのかわからない。
同じように、「考えや決断を求めてはいけない」とか「決定を迫ってはいけない」といったことも、債務整理のアドバイスをする者にとっては、とても厳しい要求になる。
自分で考え、決断して行動しない限り債務整理はできない。
私は「自分で決めることです」というレスは良くしているのだが、これがうつ病の人を追い詰めてしまうなら、ほとんど何もアドバイスできないのに等しい。

よく多重債務を病気に例えることがある。
しかし多重債務は「じっくり時間をかけて少しづつ治す」病気ではないし、保険が効くわけでもない。
時間をかければそれだけ利息が増えて、追い詰められて行くだけで、何も良いことはないのだ。
これだけは、うつ病の治療とは背反する。
多重債務がきっかけでうつ病になった人は、多重債務が解消されれば、きっとうつ病も楽になると思うのだが、多重債務解決のために必要な、決断と行動力を発揮したくても発揮できないのがうつ病なのだ。

どうすれば、うつ病の治療と債務整理は両立するのか、正直なところ私にはわからない。
「うつ病」だと言ってきた人には、気を使ってレスをしているつもりだが、多分至らないことが多いと思う。
借金が原因でうつ病になってしまった人は、辛くてたいへんかもしれないけれど、何とか債務整理に漕ぎ着けさえすれば、きっとうつ病も良くなる、と信じて、乗り越えて欲しいと思う。

2004年2月15日日曜日

消去(Delete)しないリセット

--以下は書籍「リセット」(ソフトバンクパブリッシング刊)のプローモションサイトに寄稿したエッセイを転載したものです。--

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人の過去は消しゴムで消し去ることはできない。服を着て、化粧をして、時には顔を変えて、過去を「隠す」ことはできても、「消去」することはできない。過去に見たもの、感じたもの、話した言葉、聴いた言葉のすべては、どんなに巧みに消し去ったつもりになっていても、人のDNA情報にしっかりと刻まれて、何代も先の子孫のDNAに延々と書き込まれていく。
「リセット」とは、過去の消去(=Delete)ではない。
「リセット」とは、過去という荷物を、リュックにパッキングし直して、自分の両肩にしっかりと背負った上で、新しい道を歩き始めることだと思う。

私は2度の債務整理を経験している。
私個人の借金の整理と、私が所属していた会社の自己破産手続きだ。
法的には、会社も個人も一個の「人格」として扱われる。企業は「法人」と呼ばれ、個人は「自然人」と呼ばれる。
「自然人」である私個人は、債務整理をしたことで、まさに家計を「リセット」することができた。生活にゆとりを持ち、貯金をすることもできるようになった。
しかし同じ「人格」であっても、「法人」である会社の方は、自己破産をしたことでこの世の中から抹消されてしまった。創業社長が会社を興すために投じた私財も、10数年の営業実績も、完全にDeleteされた。
私が債務整理しなければならないほどの多重債務に陥った直接の原因は、この会社の破産によって職を失ったことにある。裁判所で会社の破産宣告を受けた時、経営に失敗した社長を恨めしく思う気持ちも少しはあったが、それよりも、この世から消去された会社の、断末魔の叫び声が切なかった。
本当は消去されたくなかったかもしれない「法人」という「人格」のことを思うと、借金を重ねた自分の過去を、債務整理によって隠したり消したりすることは、絶対に許されないと思った。
愚かにも借金を重ねてきた自分の過去を振り返り、徹底的に反省をし、インターネット上に自分の借金の経緯を公開するところから、私の債務整理という「リセット」は始まった。

「自己破産」という借金整理の手段を、「借金がチャラになる」と安易に考える人がいる。確かに破産によって、借金返済の「義務」は無くなるが、「返しきれないほど借金をした」という事実が無くなるわけではない。
自己破産に至るほど借金を重ねた、という事実を受け止め、背負い続けていく覚悟が無い限り、自己破産という手段は取るべきではない。
近年、2度目の自己破産をする人が増えているという。
「借金を重ねた」という過去をしっかり背負っていなかったからこそ、再びなぞるように同じ過去を作ってしまうのだ。
破産宣告は何度でも受けることができるが、返済義務が免除される「免責」は10年に一度しか受けることができない。

過去を消したり、誤魔化したりすることは本当の「リセット」ではない。
過去を背負い続けているからこそ、一度通った同じ道に迷い込むことなく、新しい道を進んで行くことができると思うから。