2006年5月16日火曜日

パチンコ・パチスロ依存を考える

多重債務に陥るきっかけのひとつに、パチンコ・パチスロがあります。
私のサイトの掲示板に相談に訪れる人の中にも、ご自身がパチンコによって借金を作ってしまった人、家族がパチンコによって借金を作ってしまった人などがたくさんいます。
ですから、パチンコ・パチスロに関することも、いつかは書こうと思っていたのですが、先延ばしになっていました。

今になって、パチンコ・パチスロの問題を記事にしようと思ったのは、サイト開設当初からの数少ない相互リンク先である吉田猫次郎さんがblogでパチンコについて触れていたことがきっかけです。

まず、本題に入る前に、私とパチンコ・パチスロとの関わりです。
・パチンコ・パチスロは18歳の時から時々やっている(年に2~3回)
・ただし、本当に暇とお金が余っている時しかやらない(借金してまでやったことはない)
・私の彼はパチンコ・パチスロ業界人(店にもメーカーにも関わる立場)

ですから、私はパチンコ・パチスロに対して嫌悪感はまったく持っていませんし、彼が業界の人ですから、パチンコ・パチスロの話は非常に身近な話題のひとつです。
パチンコ・パチスロに夢中になる人の気持ちもわかります。
でも、何事も「腹八分」が良いのです。
「腹八分」で辞められない人が、借金をしてでも打ち続け、家族まで巻き込んでしまうような不幸な結果を招いてしまうのです。

今回この記事を書くに当たって、参考にさせていただいたのは

パチンコ・パチスロ依存症を予防するためのホームページ

実はこのサイトを運営しているのは「東京都遊技業協同組合」という、パチンコ・パチスロ業の業界団体です。
パチンコ・パチスロ業界の警察との癒着構造や、高コスト体質などは常に指摘されていて、「自浄努力を差し置いて、消費者を啓蒙しようとはけしからん」と思う人もいるかもしれませんが、精神科医などの専門家が監修していて、非常に良くできているサイトです。
パチンコ・パチスロ依存に対する正しい理解を深めてくれるページですので、「最近ちょっとスロにハマりすぎかも」と思うような人はもちろん、「家族がパチンコばかりしていて困る」というような、周囲の人たちにもぜひ読んで欲しいと思います。
ただし、やはり業界が作っているサイトですから、「パチンコ・パスロをやるな」とはどこにも書いてありません。

だからと言って、パチンコ・パチスロを規制すれば問題が解決するということでもないと思います。
「サラ金を規制すれば、ヤミ金が台頭する」という考え方があるように、「パチンコを規制すれば、バカラなどのヤミ賭博が台頭する」という危険性もあります。
また、借金してまでパチンコ・パチスロに熱中している多くの人は、「パチンコ依存」に陥っていますから、「パチンコ」という依存先を取り上げてしまえば、今度は別の依存対象を見つけるだけです。
実際、「アルコール依存症」の人が、大変な思いで治療を受けて、やっとアルコールなしで生活できるようになった途端に、今度はパチンコに熱中して「パチンコ依存症」になってしまう、ということも少なくないそうです。

「依存症」という心の病気に関しては、過去にも「買い物依存症」の記事などを通じて書いてきましたので、簡単におさらいをしておきます。
ギャンブル愛好家(好き)とギャンブル依存症の違い
ギャンブル愛好家は自分のギャンブル行動をコントロールすることができます。例えば余暇を使ってギャンブルをするし、つぎ込むお金も生活を営んでいく上で出せる金額だけです。仕事中にギャンブルをしに行ったり、家賃や食費など、本来ギャンブルにつぎ込むお金でないお金をつぎ込んで生活を破綻に導くようなことはしません。風邪は熱が出たり咳がでたりするのが症状であり、自分の意志や根性でコントロールできないからこそ病気であるのと同じように、ギャンブル依存症はやってはいけない、やればいろんなデメリットがあるとわかっていても行動をコントロールできずギャンブルをしてしまう病気なのです。
パチンコ・パチスロ依存症を予防するためのホームページ パチンコ・パチスロ依存症とは何か?
この文章の「ギャンブル」を「買い物」に置き換えれば「買い物依存症」ですし、その他にもアルコールや薬物はもちろん、「恋人」「宗教」「スポーツ」「仕事」「食べ物」など、様々な「依存症」があります。
先天的にこのような「依存症」になりやすい脳を持って生まれてくる人がいるそうで、同じようなストレスを受けても、「依存症」になる人とならない人がいるのは、ある程度先天的な理由があるようですが、特に、周囲の人がわかってあげなければならないのは、

「やればデメリットがあるとわかっていても自分の意志や根性でコントロールできない」

というところです。
家族は、パチンコ通いを続ける人に「どうして止められないの」「だらしない」「意志が弱い」と言ってしまうことが少なくないと思いますが、もはや意志でセーブできなくなってしまうのが「依存症」の怖いところです。
更にこの病気の進行させてしまうのが、本人の無自覚です。
依存症患者が「私は依存症だ、病気だ」と自覚していることは少なく、自分の意志でパチンコに通い続けていると錯覚しています。
本人も家族も「病気」だと認めない「病気」なのですから、なかなか顕在化せず、周囲の理解も得られず、逆に周囲にギャンブル依存であることや、それにともなって多額の借金があることなどを、必死になって隠そうとします。
ですから家庭の内部だけで問題を抱え込んでしまうことになり、顕在化しないままより深刻化・泥沼化して行きます。
だから、

「依存症」は本人だけではなく、家族全体の「病気」なのです。

家族全体で治療に取り組まなくてはならないのです。
アメリカなどでの研究に拠れば、このような「依存症」になる人の多くは、子供の時に疎外感や孤独感を感じていて、「自分は誰からも必要とされていない」「自分なんかいてもいなくても関係ない」と思ったことがあるそうです。
家族から暴力を伴うような虐待を受けなくても、例えば、兄弟に比べて自分は成績が悪くて、親も親戚も兄弟ばかりを褒めていたというような体験がコンプレックスになり、自分の「居場所=生きがい」を見つけられなくなり、そこで心の成長が止まってしまっているそうです。
反骨精神があれば、「お兄ちゃんより自分が褒められるようになろう」とがんばって勉強をして良い成績を取る努力しますが、少しは努力してみたものの報われなかったり、最初からコンプレックスだけに支配されてしまうと、努力を放棄して、「ある日目覚めたら、お兄ちゃんと入れ替わっていて欲しい」とか、あり得ない空想にふけりながら体だけが成長してしまうのだそうだす。
そんな時、たまたまやったギャンブルで大勝ちしてしまうと、「自分の居場所はここだ、自分にはギャンブルの才能があったのだ」と勘違いして、一気にのめり込んでしまうそうです。
それを見た家族が「やっぱりお前は、お兄ちゃんと違って出来が悪い、ギャンブルなんかやってみっともない」などと、より本人の疎外感を煽るような言動をすればするほど、本人はますます家庭を避け、ギャンブルにのめり込んでしまいます。
むしろ、家庭の中での役割や居場所をきちんと作ってあげて、家族みんなで本人を「頼りにしている」という姿勢を貫くことで、本人は「パチンコ屋に行くより早く家に帰ろう」という気持ちになるのではないでしょうか。

依存症の治療には、お薬が使われることもありますが、メインはカウンセリングやグループミーティング(同じ依存症患者同士で話す)だそうです。
そして、同時に依存症患者の家族同士のミーティングや、家族に対するカウンセリングが平行して行われるそうです。
当然のことながら、家族が愚痴を言い合うミーティングではなく、正しい「依存症」の知識や対処法を学び、励ましあう場です。
本人に「依存症だ」という自覚がなく、なかなか治療を受けようとしてくれない場合は、家族だけでもこうしたミーティングやカウンセリングを受けることで、適切な対応ができて、本人が直接治療を受けずとも依存症が治ってしまう場合もあるそうです。

研究に拠れば、ギャンブル依存症患者の多くは「努力しないで成功することを夢みている」「ギャンブルをしていればいずれ大勝ちして、働く必要がなくなると信じている」そうです。
試しにネットを検索すると、「パチンコやパチスロで借金を返済する」と豪語しているブログがたくさんあります。
読んでいるこちらは「アホじゃないの?」と言いたくなるような夢物語ですが、ご本人は至って真剣で、根拠のない自信に満ち溢れています。
たまに、そういうブログを見かけると、債務整理をするようにコメントをつけてみるのですが、必ず拒否されます。
「借金の返済」をパチンコ・パチスロをやる理由にしているだけで、本当に「借金の返済」を目的にしているわけではないからです。
あくまでも「打つ」ことが目的であって、「借金の返済」を言い訳に使っているだけなのです。
そんな人に、パチンコ・パチスロを止めるように説得するのは、相当に困難なことでしょう。
カルト宗教やマルチ商法にハマッている人を、正論だけで止めさせることが極めて困難なのと似ていると思います。
業界内部の人がハッキリ「勝てない」と言い切っているブログもありますが、恐らくこれを見せても「自分だけは勝てる」という根拠ない自信は揺らがないと思います。
私の彼も若い時からパチスロ好きで、「好き」が高じて仕事になった人ですが、彼も「今のパチンコ・パチスロは勝てないから、自分の金で打つ気がしない」と言っています。

今回、依存症関連のサイトを見て回っているうちに、私は「借金依存症」という言葉を思い付いてしまいました。
ここ1~2年のブログの台頭によって、様々な考えや行動の人がブログを立ち上げているわけですが、その中には、ひたすら借金をしては返し、返してはまた借金をし、ということを繰り返す、いわゆる「自転車操業」を続けている人も少なくありません。
中にはギャンブルをやっている人もいますが、そうでない人もたくさんいます。
この人たちは、この不毛な自転車操業を「自力返済」とか「大車輪」と呼んで、多額の借金と多額の利息を抱えているにも関わらず、ほんの数%利息の低い所に借り替えたり、借入日から1週間だけ無利息なサラ金を利用することを「利息の節約」だと自慢しています。
ある程度借金がまとまってくれば、数%利率を下げることよりも、より元金を多く減らす方が利息の支払額を少なくするのには効果的です。また、それ以前の問題として「借金のない人は1円たりとも利息を払っていない」という事実をすっかり棚上げして、本人は本当に自分は「節約している」と思い込んでいるようなのです。
この1週間無利息なサラ金を利用し続けるためには、毎週毎週サラ金のATM通いを続けなければいけません。わずかな利息を節約するために、ATMに通う時間や交通費をかけるのはもったいないですし、毎週50万円、100万円単位のお金をATMから引き出したり返済したりしていると、恐らく金銭感覚もおかしくなってくることでしょう。
この人たちも、私には上記の「やればデメリットがあるとわかっていても自分の意志や根性でコントロールできない」状態になっている「借金依存症」ではないかと感じます。
毎週ATMに通ってまとまった金額を借りたり返したりし、今日は利息を何百円節約した、と計算することが自分のステイタスになってしまっているのでしょう。
冷静に考えれば金銭的にも時間的にも、法的整理をすればずっと楽になることは明らかなのに、「自力返済」という魔物に取り付かれたかのように、不毛なATM通いを続けてしまうのだと思います。
でも、本人に「そんな不毛なATM通いを続けていても、たいして利息も減らないし、時間ももったいないし」と言ってみたところで、「私は好きでATM通いをしているのよ、放っておいて」と言われるだけです。

「借金依存症」と「パチンコ依存症」を併発してしまっているような人もたくさんいます。
借金依存にしてもパチンコ依存にしても、家族が一丸となって回復のために努力するのが一番良いと思うのですが、実情は当事者と周囲との距離は離れていく一方だと思います。
最初に紹介した猫次郎さんのブログについたコメントを見ても、家族がパチンコ依存だというような人の多くは家族を嫌い、パチンコを嫌って声高に「規制」を叫ぶばかりです。
「パチンコなんて、何がおもしろいのかさっぱりわからない」と、周囲の者がパチンコを嫌えば嫌うほど、依存している当人との距離は離れて行きます。
借金も同じで、普通の感覚では、毎週毎週サラ金のATMに通っているような人とは付き合いたくもないでしょうから、その事実を知った友人・知人はだんだん距離を取って行くに違いありません。
本来は、周りから取り残されてひとりぼっちになってしまったことが、自分の依存体質に気付くきっかけになるのかもしれませんが、幸か不幸か、ネットの普及によって、借金依存の人は借金依存の人同士、パチンコ依存の人はパチンコ依存の人同士で集まることができるようになってしまいました。自分のやっていることを正当化してくれる"仲間"ができるのです。仲間同士でお互いを肯定しあうことで、肯定しない者はどんどん遠ざけられてしまいます。
ネット上では、否定する者と肯定する者が棲み分けされてしまい、ぶつかり合うばかりで、融合することはとても難しいと感じます。
今回紹介した依存症対策のサイトのように、ネットには有益な情報もたくさんありますが、依存症の自覚がない人は、決してこんなサイトは見ないでしょうし、家族にパチンコ依存症を抱えている人でも、単に家族を「だらしない、みっともない」としか思っていなければ、このようなサイトを見ることもなく、「パチンコは害悪だ、規制しろ」といい続けるだけでしょう。
借金に関しても同じです。不毛な自転車操業をしている、という自覚がなければ、債務整理についてのサイトには見向きもしないで、「借り換え」や「大車輪」のサイトだけを見て回るだけでしょう。

パチンコや借金の依存症にはならなくても、「依存症」には誰でもなる可能性があります。
「パチンコをするヤツの気が知れない」と思っている人でも、「毎日コーヒーを3杯は飲まないと気がすまない」とか「毎日ビールを飲まないと物足りない」と感じている人がいるかもしれません。それが紛れもなく「カフェイン依存症」「アルコール依存症」への第一歩なのです。
相手を否定するばかりではなく、お互いに「明日は自分にもおこることかもしれない」と思って接することが大切だと思います。しかし、今のネット上ではそれは極めて困難なことだと感じます。
やはり、生身の人間同士、価値観が異なっても「家族」という枠組みで囲われた者同士が対峙して話し合わなければ、真の解決にはならないと思うのです。