2007年9月2日日曜日

【貧困】型多重債務と債務整理"後"

貧困襲来貧困襲来
湯浅 誠

山吹書店 2007-07
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この2ヵ月余りの間に、日本ではプロミスとレイクの経営統合が発表され、アメリカのサブプライムローンの破綻に伴う世界的な株価の下落もありました。参議院選挙もありました。
その度に、思うところもあって、記事を書きかけはしていたのですが、うまくまとめることができませんでした。このような大きなニュースに対するコメントは私がしなくても他にしている人がたくさんいるので、今更コメントはしません。

大きなニュースが気になる一方で、ここ数ヶ月、自分のサイトの運営について少し考えることがありました。

私のサイトの掲示板でも、借金や債務整理に関する他の掲示板でも、現在借金に苦しんでいるにもかかわらず「債務整理をして何年経つとまた借金ができるのか」「特定の債権者を任意整理からはずせば、そこから引き続き借りられるのか」と言った質問の書き込みが定期的にあります。
そういう質問に対して、私も含めた多くの回答者は「債務整理をする前から新たに借りることを考えているようでは反省が足りない」「そんなことでは債務整理をしてもまた破綻するのは目に見えている」というような回答をします。「ちゃんと生活を見直して、借金しないで済むような家計を作りましょう」とアドバイスをします。

そのような回答をしながらも、最近、こうした質問をする人がみんな、反省が足りず、家計の管理がずさんな人たちばかりなのかなぁ、と思うようになってきました。
私が債務整理をしたのはもう7年も前の話で、当時はバブル崩壊によって急激に収入が減ったり失業したりした末の、いわば「バブル清算型」の債務整理だったと思います。
債務整理は自分の周りを覆っていたバブル(泡)をキレイに洗い流すようなもので、その後は等身大の身の丈に合った生活をすれば、借金とは無縁の生活を比較的容易に取り戻すことができました。
しかし、今多重債務に苦しんでいる人たちにとって、借金は自分を膨らませて見せる「泡」などではなく、自分の生活の穴の開いた部分を借金で埋めることで何とか等身大をキープすることができているのかもしれない、という気がしてきました。
債務整理する前からその後の借金の心配をする人は、債務整理をしても、その後の生活の展望がまったく見えてこないのかもしれない、と思うようになりました。

そのような漠然とした思いに方向付けを与えてくれたのが、「貧困襲来」という本でした。

バブル期前の1980年頃、「一億総中流時代」という言葉をよく聞いたように思います。
日本の世帯の多くがサラリーマン世帯で、誰もが自分は特別金持ちでも貧乏人でもない「普通の人」という意識を強く持っていました。
そして、戦後しばらくは確かにあった「貧困問題」は、日本人全員が「中流」になったことで消滅したと言われ、もはや「貧困」という言葉すら聞かなくなりました。
聞くとすれば、アフリカやアジアなど発展途上国の話でした。

ところが、数年前から日本でも餓死者のニュースが出るようになりました。日本で餓死者が出たことは、とても衝撃的でしたが、そのニュースの中でも「貧困」という言葉は使われなかったように思います。
最近は、「格差」「ワーキング・プア」「ネットカフェ難民」といった言葉は日々ニュースの中で飛び交っていますが、要するにこれは「貧困問題」です。
でも「貧困」という言葉そのものが今の日本人には刺激が強すぎるのでしょうか。
国もマスコミもあくまで「格差問題」として処理しようとしています。

この本を読んで、これまで漠然と感じていた、政府の言う「再チャレンジ」や「セイフティーネット」などに対する胡散臭さの正体が少し見えてきた気がしました。
今の政府や政治家の発言のトレンドは「ある程度の格差は容認する」というものです。
「がんばった人がそうでない人より良い思いをするのは当然」という言い回しは、一見正論ですが、裏を返せば「良い思いができないのはがんばりが足りないから」ということになります。
がんばって、寝食も削って働いて、それでも生活が苦しい人が「ワーキング・プア」と最近呼ばれるようになりましたが、それでも「格差容認発言」は今でも否定されることはほとんどありません。おそらく、普通の働き方をしていても「ワーキング・プア」とは認めてもらえず、単に「がんばっていない人」と言われてしまうのではないでしょうか。
本当に寝食を削り、病気になっても働いて、ボロボロにならなければ「ワーキング・プア」とは認めてもらえないのです。

本来はそのような人のために生活保護の制度があります。
生活保護は、寝たきりで働けない高齢者のためだけの制度ではありません。
働いて収入がある若い人でも、その収入が国の定めた「最低生活費」に満たなければ生活保護を受けることができます。
この本には、自分の「最低生活費」計算できるエクセルシートを収録したCDが付いています。(ここからダウンロードもできます)
これで計算すると、私の収入も「最低生活費」より少ないことがわかりました。本来は私でも毎月数万円の生活保護を受けることも可能です。

しかし、昨今の年金問題を見ればわかるように、国は国民からお金を「取る」ことには熱心ですが、国民にお金を「渡す」ことには非常に嫌がります。
生活保護もなるべく支給しないで済むように、受給の申請に来た人を何としてでも追い返そうとする自治体が多いそうです。
「生活保護は65歳以上で病気などで働けず、養ってくれる家族がいない人でないと受給できない」というような虚偽の説明も平気でするし、仕事のない人には「仕事を探す努力が足りない」「家族に養ってもらえ」と追い返すそうです。
「ここに来る前にハローワークに行きなさい」と言われるそうです。
そして、ハローワークで「パソコンもできないような人に紹介する仕事はない」と言われ、私が教えているパソコン教室に来る人も毎月数人はいます。
ウチのパソコン教室の授業料は世間の相場よりはかなり安く設定していますが、それでも失業中の人にはかなり痛い出費だろうと思います。

生活保護を打ち切られて餓死した人も、福祉事務所が、深夜のコンビニのバイトで何とか自分が食べる分だけを稼いでいる息子さんに電話をして「親を養え」と再三言ったようです。
幼い子供を抱えた母子家庭のお母さんには「子供を施設に預けて働け」と言うそうです。
もちろん、私が申請に行っても「もっと仕事を増やせ」と門前払いされると思います。

こうして、本来は生活保護を受給できる人が役所に門前払いされれば、後はサラ金・ヤミ金に頼るしかなくなります。
建前では国が用意しているはずの「セイフティー・ネット」には、実際には大きな穴が空いていて、その穴からこぼれ落ちた人を最後に受け止める「ネット」がサラ金・ヤミ金になってしまっています。
このような人たちがサラ金からお金を借りて多重債務に陥ったのだとしたら、債務整理をするだけでは何の解決にもなりません。
債務整理によって、穴の空いた「セイフティー・ネット」の上に一度は引き上げられたとしても、再びその穴から下へ落ちることしかできないのです。

仮に多少時間をかけて、安定した収入を得られる仕事が見つかるまでの間だけでも生活保護を支給してもらえれば、その悪循環から抜け出せる人もいるはずです。
しかし、今日・明日の生活に困っている人は、時間をかけて安定収入を得られる仕事を探している暇などなく、低賃金でも、その日に手元に現金が入る日雇いの肉体労働などを選ばざるを得ません。日雇い労働は一般的に低賃金で、その日にならなければ仕事があるかどうかもわかりません。
そんな状態の人に「生活を見直して、借金しないで済む堅実な生活をしましょう」などと言っても、まったく的外れなアドバイスにしかなりません。

この本の作者がやっている、貧困者を支援する「もやい」というNPOや、「全国生活保護裁判連絡会」では、生活保護の申請を門前払いされてしまった人をサポートする活動などを行っています。
生活保護を支給してもらえずに困窮している人も、サラ金やヤミ金に手を出す前に、このような団体に相談をして、何とか生活保護を受給して欲しい、と願います。

この10年弱の間に国が推し進めてきた「改革」によって、「格差社会」になってしまったことは誰もが認めることです。
しかし、「がんばった人」と「がんばらなかった人」という観点でその格差の両端に人を振り分けるのは間違っています。
がんばってもうまくいかない人もいれば、大資産家の家に生まれて、がんばらなくても巨万の富を得られる人もいるのです。

この本を読んで、今まで漠然と感じていた【貧困】型多重債務者は、確かに存在するということが明確になりました。
そして、このような人たちは債務整理だけしても「健全な無借金生活」を手にすることは非常に困難だということもわかりました。「生活を見直せ」「しっかり働け」というアドバイスが、かえって彼らを追い詰めてしまう危険性があることも認識しました。

私ができることは、前述の「もやい」や「生活保護裁判連絡会」の存在を教えてあげて、根本的に生活費が足りない人は、生活保護の受給をするようにアドバイスする程度のことしかありません。

あとは、穴が空いた「セイフティー・ネット」の穴が一刻も早くふさがれて、最後の頼みの綱がサラ金やヤミ金でなくなることを強く願うのみです。