2005年08月19日

プチ・映画レビュー(3)"砂"の映画で"暑い夏"を体感(旧blogより転載)

朝夕の風には、少しだけ秋の気配を感じるようになって来ましたが、それでもまだまだ暑い毎日ですね。
去年の夏に書いた映画レビューでは、「暑い夏を少しでも涼しく」ということで、潜水艦の中を舞台にした映画を2本紹介しました。そこで、今年は反対に、暑い夏がいっそう暑くなりそうな映画をご紹介してみようかと思います。照りつける真夏の暑さというよりは、肌にじっとりと粘りついてくるような暑さを感じる物、「砂」が象徴的な映画です。



以前の映画レビューでご紹介した「ラストタンゴ・イン・パリ」のベルトルッチ監督作品です。前年に「ラストエンペラー」でアカデミー賞を受賞したのと同じスタッフで撮った映画なのですが、興行的には大失敗だったらしいです。「ラストエンペラー」できらびやかで優雅で、アメリカ人が大好きなオリエンタルムード満点の紫禁城の暮らしを見せてくれたベルトルッチが、その次に選んだのは、何もないどこまでも続く砂漠の風景だったのですから、がっかりしてしまった人も多かったのかもしれません。
しかし、私は「ラストエンペラー」より、「シェルタリングスカイ」の方が、ずっとベルトルッチらしい作品だと思いますし、映像も、ストーリーも、俳優さんも、坂本龍一さんの音楽も、「ラストエンペラー」の上を行っていると思います。
と言うより、「好きな映画ベスト3を挙げなさい」と言われれば、私は必ずこの作品を挙げます。
でも、見た瞬間に「マイベスト」になったわけではありません。この映画が公開されたのは1990年で、その時私はまだ20代前半でした。映像と音楽の美しさはとても印象に残ったものの、内容についてはさっぱり理解できず、それでも「何だか気になる映画」で、何度も何度もレンタルビデオなどで見ていました。
そのうち「この映画が理解できるようになれば、私も"大人の女"だ」と思うようになり、遂に自分なりの解釈を手に入れたのは、30歳を過ぎてからです。
北アフリカ・モロッコの街と、延々と広がる砂漠の風景が物語の舞台です。
ふたりの新しい関係を求めて、アメリカからモロッコに渡ってきた倦怠期の夫婦が主人公ですが、この映画がすごくもあり、とっつきにくい印象を与えてしまうのは、見る人が、その夫婦のどちらかに感情移入して見ることができない手法にあります。
「シェルタリングスカイ」というタイトルは「空に守られている」、青臭く言えば、「広くて無限の青い空に見守られてちっぽけな私たちは生かされているんだね」、というようなことなのでしょうが、それを痛感するのは、主人公の夫婦であり、見ている人は、彼らと一緒にそのことを痛感するというよりは、彼らを見守っている「空」の側の視点に置かれている感じがするのです。
そもそも、「倦怠期の夫婦」という設定が、20代前半の女の子にはピンと来ないのですが、あるきっかけで、その主人公夫婦の妻だけが、延々と広がる砂漠の中に足を踏み入れて行く理由などは、初めて見た時は本当に理解不能でした。
でも、自分も歳を重ね、何度もこの映画を見ているうちに、何だかわかってくるのです。わかってくると、ただ砂だけしかない砂漠の風景が、とても美しく見えてきます。最初は、砂漠は先の見えない「絶望」の象徴なのかと思っていたのですが、実はそうでもないことがわかります。
どちらかというと難解な部類の映画だと思いますし、15年間繰り返し見てきた私自身の解釈も、その都度変わっています。だからこそ、何度も見たくなってしまう映画なのかもしれません。
地上を見下ろす空の視点で、存分に情感あふれる砂漠の風景を堪能してください。



これは、1964年、私が生まれる前の日本映画で、もちろんモノクロ作品です。
監督は数年前に亡くなった勅使河原宏さんで、華道の草月流の家元でもあった人です。
安部公房の有名な小説の映画化なのですが、私は高校生時代に阿部公房の小説を読みまくっていた時期があり、中でも「砂の女」は読んでいるだけで砂の流れる音が聞こえてきそうな、ねっとり感を伴う印象的な小説でした。
大学生になって、この小説が映画になっていることをレンタルビデオ店で初めて知り、この映画を見て驚きました。
言うまでもなく、たくさんの小説が映画化されていますが、ここまで原作を忠実になぞった映画は他にありません。実際に小説を読みながら映画を見ると、脚本を読みながら映画を見ているのと同じです。地の文の通りに映像が続き、小説に書かれている台詞とまったく同じ台詞を俳優が喋るのです。

小説の中の砂は、生き物のようにサラサラと音を立てて流れ続け、不快にねっとりと肌にまとわりつくのですが、それは文章だだからこそ表現できることで、映像化なんてとてもできないだろう、と思っていたのですが、それが見事に映像で表現されていたのです。
砂の不快感、ねっとり感が見事に映像化されていながら、不快でねっとりした映画ではないところが、勅使河原監督のスゴイところです。
草月流の生け花は(假屋崎省吾さんも草月流ですね)、大胆でゴージャスで、いわゆる「華道」のイメージよりは、フラワーアレンジメントのイメージに近いものです。その家元である勅使河原監督が、花一輪、雑草一本生えていない砂漠の映画をここまで見事に撮ってしまうのは、「すごい」としか言い様がありません。華道家が植物なしで、自分の芸術を表現したということだと思います。
勅使河原監督の映像表現も見事ですが、更にこの映画を印象的にしているのは、"砂の女"を演じている岸田今日子さんの存在感です。阿部公房が小説で描写している女を忠実に演じながらも、彼女独特のはかなく怪しい雰囲気が相まって、勅使河原監督の世界観にいっそう深みを与えています。
私は原作やノベライズがある映画は、原作を読んでから映画を見るとたいていがっかりしてしまうので、先に映画を見ることをおすすめするのですが、この映画だけは、まずは原作をじっくり読んで、その世界観にどっぷり浸ってから、今度はそれを映像で再確認する、という見方をおすすめします。

ところで「砂」と言えば、「スターウォーズ」の主人公、アナキン・ルーク親子の故郷も"砂の惑星・タトゥーイン"です。エピソード6では、大きな砂の蟻地獄での戦いのシーンもあります。「スターウォーズ」シリーズは大好きな私ですが、「砂」の撮り方に関しては、大いに不満です。日本映画フリークのルーカスも、「砂の女」はチェックしていなかったのかなぁ、と思うことがあります。
ニックネーム 借金女王 at 00:00 | TrackBack(0) | 映画&テレビ
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